苗族(ミャオ族/ミャオぞく)

苗族(ミャオ族/ミャオぞく)は中国やベトナムの三漢民族であるが、苗族の一部が、東南アジアや中国の近現代史、冷戦期のラオス内戦やベトナム戦争において間諜(かんちょう=スパイ活動・諜報員)として、非常に大きな役割を果たした。

■中国史における「苗族と間諜・情報戦」

中国の古代〜近世史において、ミャオ族は中央王朝(漢民族など)との間で長年争い(ミャオ族の反乱など)を繰り広げた。
山岳地帯の地理的優位
険しい山岳地帯に暮らすミャオ族は、中央王朝の軍隊に対して偵察(間諜)や山岳ゲリラ戦を得意とした。
改土帰流(かいときりゅう)と情報戦
清代(18世紀)の雍正帝期など、中央政府がミャオ族の地域を直接支配しようとした際には、双方で隠密の事前偵察や内部工作(間諜を放って族長同士を対立させる等)が行われた。

■ベトナム戦争・ラオス内戦

ラオス内戦(1953年〜1975年)は、単なる一国の内政問題にとどまらず、ベトナム戦争と一体化した冷戦期の代理戦争だった。

■CIAの秘密作戦(シークレット・ウォー)
冷戦下のラオスでは、共産勢力(パテート・ラーオおよび北ベトナム共産党)と中立・右派勢力が対立していたが、ラオスは1954年のジュネーヴ協定で中立国と定められていたため、アメリカ軍は表立って正規軍を投入できなかったため、CIAが現地山岳地帯に住むミャオ族を組織化・訓練し、非正規部隊および間諜として利用した。

■ミャオ族の担った「間諜・山岳戦」の役割
情報収集(HUMINT)
北ベトナム軍が物資補給に使っていた過酷な密林ルート「ホーチミン・ルート」に潜入し、敵の部隊規模・物資輸送・建設状況を監視・補給線情報をCIAに提供
偵察と誘導
地形に精通したミャオ族は、アメリカ軍機による空爆の標的を誘導(前線航空統制)する間諜・偵察兵として機能した。
撃墜パイロットの救出
北ベトナム上空や密林で撃墜されたアメリカ軍パイロットを敵の捜索網から隠し、回収・救出。

■指揮官
ミャオ族の指導者であったバン・パオ将軍は、CIAと密接に連携して約3万人のミャオ族からなる秘密軍隊(Secret Army)を率いていた。

■戦後の悲劇と難民問題
ミャオ族は密林での諜報活動やゲリラ戦で多大な貢献を果たしたが、1975年にアメリカ軍が東南アジアから撤退し、共産主義政権が誕生すると厳しい立場に追い込まれた。
報復と弾圧
共産政権から「アメリカの間諜・協力者」として苛烈な報復・粛清の対象となり、多くのミャオ族がジャングルへ逃亡するか、タイの難民キャンプへ逃れた。
渡米と再定住
その後、多くのミャオ族が難民としてアメリカ(ミネソタ州やカリフォルニア州など)へ渡り、現在も大きなコミュニティを形成している。


このように、「苗族」と「間諜」というテーマは、
東南アジアの過酷な地政学の中で、山岳地帯の知識を買われて大国の身代わり(代理戦・諜報戦)として利用され、翻弄された歴史
と強く結びついています。

■中国とベトナム・ラオスのミャオ族

中国の「苗族」もベトナムの「ミャオ族(モン族)」も、もとを正せば同じ歴史と文化を持つひとつの民族であり、現在のベトナムやラオスに住むモン族は、中国から移住してきた苗族の子孫にあたる。

●共通点
文化・装飾
鮮やかな刺繍を施した民族衣装や、銀飾人を珍重する文化、伝統的な祭り(モン新米祭り・正月など)は共通しています。
生活様式
どちらの地域でも、主に標高が高い山岳地帯に集落を作り、畑作(焼き畑やトウモロコシ栽培)や畜産を行って暮らしてきました。

●相違する点
言語

ミャオ・ヤオ語族に属するが、地域やグループ(白モン、黒モン、花モンなど衣装の色やデザインで分かれる)によって方言の差が大きく、遠く離れた地域の言葉は通じにくい。
近代史の歩み
中国に残った苗族は中華人民共和国の少数民族として統合されていったが、ベトナムやラオスのモン族はフランス植民地戦争やベトナム戦争(シークレット・ウォー)などの激動の地政学に巻き込まれ、多くの人々がアメリカなど海外へ難民として渡ることになった。