1927年の上海クーデター(四・一二事件)

1927年の上海クーデター(四・一二事件)は、蒋介石が中国共産党および労働運動を武力で排除し、第一次国共合作を終焉させた決定的事件である。
上海という租界都市で発生したため、軍・秘密結社・資本家・租界警察が複雑に絡み合う、20世紀中国史でも特異な政治事件として位置づけられる。

■ 事件の核心

日時: 1927年4月12日
場所: 上海(閘北・南市などの中国管轄区。共同租界・フランス租界当局も密かに協力)
主導者: 蒋介石(国民革命軍総司令)
対象: 中国共産党・総工会・武装労働者(工人糾察隊)
結果: 大量逮捕・殺害、第一次国共合作の崩壊、国民党の分裂(寧漢分裂)

■ 背景 ― なぜ上海で起きたのか

上海は当時、中国最大の工業都市であり、紡績・造船・港湾労働者が集中する労働運動の中心地であった。
1925年の五・三〇事件以降、労働運動は急進化し、共産党は総工会を通じて労働者を組織した。

1927年3月には第三次武装蜂起が成功し、労働者武装組織「工人糾察隊」が市内の治安の一部を掌握した。
しかし国民党内部では左派(武漢政府)と右派(蒋介石)の対立が激化。上海の資本家層(浙江財閥)・租界当局・秘密結社(青幇)は、労働運動の拡大や財産の保護に強い危機感を抱き、資金援助や治安協力と引き換えに共産党の排除を求めて蒋介石へ接近した。

■ 経過 ― 4月12日未明の武力弾圧

秘密結社「青幇」と右派勢力の連携
蒋介石は事前に青幇の杜月笙(と・げつしょう)らと協力し、労働組合の拠点や指導者の位置を把握。杜月笙は総工会のトップ・汪寿華を誘い出して暗殺するなど、事前の切り崩しを行った。

同時多発の襲撃
4月12日未明、青幇の構成員(「中華共進会」を名乗り、内部抗争に見せかける腕章を着用)や右派系兵士・警察が、租界を抜け出して上海市内の総工会・糾察隊の拠点を一斉に襲撃した。
拠点のアジトは機関銃で破られ、指導者や武装部隊は次々と逮捕・殺害された。

抗議行動への発砲
翌13日、労働者20万人がストライキに突入し、大規模な抗議デモが展開された。
国民革命軍はデモ隊に向けて銃撃を行い、100人以上が死亡した。中国側の記録では、上海だけで300人余が殺害され、5000人余が失踪したとされる。

■ 波及 ― 国共分裂と白色テロの全国展開

上海クーデターは第一次国共合作の終焉を決定づけた。
武漢政府(国民党左派)は最初、蒋介石の反逆を非難したが、社会混乱と反共圧力を背景に7月には共産党員を排除(分共)、左派政権も事実上崩壊した。
これにより国民党は反共路線へ収斂し、各地で共産党員・学生・労働者への苛烈な弾圧(白色テロ)が全国へ拡大した。

共産党は都市部での活動基盤を完全に失い、農村での武装闘争へ戦略転換を余儀なくされた。
これが南昌起義・秋収起義、そして井岡山での農村根拠地形成へとつながっていく。

■ 歴史的意義

上海クーデターは、中国革命の構造を大きく転換させた事件である。
・蒋介石は上海の治安・金融(浙江財閥からの資金)・港湾を掌握し、南京国民政府の樹立と国家形成のための強固な財政・軍事基盤を確保した。
・共産党は「都市の労働者による革命」を断念せざるを得なくなり、「農村包囲戦略」へ転換。後の長征や中国内戦の勝敗へとつながった。
・租界都市の特殊性、秘密結社(裏社会)、浙江財閥(資本家)、軍閥・革新軍が複合的に動いた、近代中国史における最も凄惨かつ精巧な都市型政治クーデターであった。

すなわち、中国革命の軸が「都市の革命」から「農村の革命」へ移行した最大の分岐点である。