第31話 白瓊(バイチョン)と歌瑛(ガイン)

1930年、上海。 1920年代後半からアメリカのトーキー映画が輸入され始め、上海の映画界でも「次は発声映画だ」とトーキー製作への気運が急速に高まっていた。

撮影機材はなんとか揃えたものの、紅江映画社にはひとつ重大な問題があった。
看板女優である白瓊(バイチョン)が、実は耳が不自由で言葉を話すことができなかったのだ。
無声映画の時代は持ち前の美しい風貌と豊かな表現力でヒットを連発していたが、声を吹き込むとなれば話は別である。
会社にとって彼女は絶対的な看板スターであり、作品から外すわけにはいかない。
映画会社は何としても「白瓊にぴったりの声」を探し出す必要に迫られた。

マネージャーは上海中を奔走したが、理想の声は見つからない。
途方に暮れた彼は、ついに顔なじみのVV(薇薇)に相談した。
VVは女学生でありながら、上海の有名なサルーン「華影楼」で歌い手としても活躍し、映画出演の経験もある社交界の顔役だった。

「ぴったりの歌手がいるよ!」
VVの言葉を信じて華影楼を訪れたマネージャーは、ステージの上で透明感あふれる歌声を響かせる一人の少女に出会う。
「彼女こそ白瓊の声だ!」と歓喜したマネージャーは、オーナーのミーシャに頼み込み、終演後にその歌手と引き合わせてもらった。

少女の名は歌瑛(ガイン)。
白瓊に負けず劣らず可憐で、自身が銀幕に立っても映えそうな風貌だった。
しかし彼女には二つの課題があった。
目が見えないこと、そして台湾出身で強い訛りがあり、北京語も上海語も話せないことだった。

幸い、歌に乗せれば訛りはまったく気にならない。
しかし、耳の聞こえない白瓊は歌瑛の声を聞いて演技を合わせることができず、目の見えない歌瑛は白瓊の立ち回りを直接見ることができない。

頭を抱えるマネージャーに、VVが不敵に微笑んだ。
「ミュージカルなら大丈夫じゃない?」

マネージャーは二人が互いの存在を感じ取れるか試すため、華影楼のステージで短いミュージカルの一幕を試しに演じてみようと提案した。
白瓊と歌瑛もそれを受け入れた。

本番、白瓊がステージの中央に立つ。
歌の場面に差し掛かると、舞台袖に控えたVVが歌瑛の耳元で「3、2、1、ゴー」と優しく囁く。
歌瑛の美しい歌声が場内に響き渡るのと同時に、舞台袖の暗がりからマネージャーが手話の大きなサインで歌のテンポを白瓊に送り続けた。
白瓊はそのサインを視界の端で捉え、まるで自分自身が歌っているかのように自然で情熱的なリップシンクと舞いを披露した。

観客席は大歓声に包まれた。
「白瓊は歌まで完璧なのか」
「トーキーでも間違いなく大スターだ」
と、噂は一気に上海中に広まっていった。

この実験的な舞台の成功をきっかけに、白瓊と歌瑛はいつしか行動を共にするようになった。
白瓊には歌瑛の歌声が聞こえず、歌瑛には白瓊のあざやかな手話は見えない。
それでも二人は触手話を覚え、いつも互いの手をしっかりと握りしめた。
手のひらを通じて指で言葉を交わしては無邪気に笑い合い、二人は静かで温かな時間を重ねていった。

【2026-08-30/260425-1】

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