1928年上海市紅江区。 幸福路の里弄(リーロン)と呼ばれる共同住宅近くで、老人たちが子供たちをあずかる託児所があった。
都市部の中産階級以上では、乳母(アマ)や子守り(アーヤ)を雇うことが一般的。
里弄では祖父母・親戚・近所の女性が協力して子どもを見た。
しかし、この里弄では共働きも多く老人が少なかったため、この託児所は大変にありがたい存在だった。
託児所をやっている爺様、婆様は8人組。
甲婆(ジア ポー)、乙婆(イー ポー)、丁婆(ディン ポー)、己婆(ジー ポー)、辛婆(シン ポー)、癸婆(グイ ポー)の6人の婆様と
丙爺(ビン イエ)、戊爺(ウー イエ)、庚爺(ゲン イエ)、壬爺(レン イエ)の4人の爺様だった。
近所の人は十干の爺・婆と呼んでいた。
幸福食堂の阿栗は、「お爺さん、お婆さんたちだけで大変だね。あぶなっかしいよ」と同情していたが、
女学生でありながら幸福商会の社長で、食堂やカフェを経営しているVV(薇薇)はその話を聞いて
「そうかな、元気そのものだよ」と太鼓判を押していた。

近所の人たちの目から見ると、この爺様婆様が覚束ない足取りで子供たちを追いかける姿は心配の種なのだが
VVから見ると「大したものだ」ということになる。
一緒に託児所を覗いていたVVの同級生のMG(マリゴールド)が 「ただのお爺さんお婆さんじゃないの?」
VV「見てみて」
子供が転びそうになると、近くにいた婆様が子供の腕を掴む。
子供が穴に落ちそうになると、近くにいた爺様が手を引く。
子供が高いところから落ちそうになると、婆様が下から支える。
MG「確かに子供たちの面倒は見てるけど」
しかし、この動作をVVが見ると、
子供が転びそうになると、婆様が音もなく走り寄り、子供の腕を掴む。
子供が穴に落ちそうになると、爺様が風のように回り込んで、子供の手を引く。
子供が高いところから落ちそうになると、婆様がバネのように子供の下に潜り込んで、子供の体を下から支える。
レオンが後ろから声をかける。
「さすがだな。苗(ミャオ)族の動きだ」
レオンはVVの経営する幸福1号店の常連。職業はフリーのスパイ。
VV「苗族は諜報を得意とする部族よね。レオンは気が付いていたの?」
レオン「当然だ。あの老人たちは国民党軍のスパイだからな」
MGは目を白黒させる「あのお爺さんお婆さんたちがスパイ!?」
VVは、先日、市場で甲婆さんとした立ち話を思い出した。
「あたしたちは出稼ぎで、田舎から一緒に出てきたのさ。
村にいるよりも、ちっとは余計に飯が食えると聞かされてさ。
あと、田舎にもちっとは仕送りができる」
レオン「諜報は苗族の出稼ぎ仕事だ」
VV「なるほどね」
そしてVVが、改めて託児所を見やると、
託児所に通う子供たちの様子が“違う”ことに気が付いた。
例えば、子供たちが鬼ごっこをしている時など、
・合図なしに集まり、素早く散開する。
・気配を消して物影に隠れる。
・物音に聞き耳を立て、周囲の気配を読んでいる。
・特に、子供たちが走るときに、音もなく走る。
子供たちは純粋に、かくれんぼ、鬼ごっこ、忍者ごっこをしているのだが”レベル”が違う。
VV「子供たちまで…。でも、スパイというより忍者だね」
子供たちの中でも、
男の子4人の東(ドン)、南(ナン)、西(シー)、北(ペイ)、
女の子3人の白(バイ)、發(ファ)、中(チュン)
が活発で、爺さん婆さんたちが見ていても 気が付くとどこかに行ってしまう。
上海に本拠地を持たないイタリアスパイが幸福路で幸福1号店を覗いていた時に、
子供たちが「怪しい奴」とみなして、
持っていたアタッシュケースを取り上げ、
慌てるスパイを道で盛大にすっころばして追い返してしまった。
甲婆さんは「危ないことをするんじゃないよ」と子供たちに諭したが
東「だって、幸福カフェ1号店を覗いててあやしかったんだもの」
と反省の色が無い。
VVは(実はうちに依頼に来たのかも。依頼が1つ減ったけど、まあいいか)とさばさばしていた。
国民党軍の男女も託児所に出入りしていた。
VVは国民党のスパイも顔見知りだから、スパイが託児所に入って行けばすぐわかる。
国民党スパイは子供たちに邪魔されず、爺さん婆さんたちに依頼をしたようだ。
甲婆たちの今回のミッションは、日本海軍の最新型軍艦の情報を得ること。
しかし、この国民党のスパイの動きを7人の子供達はしっかりと観察していた。
甲婆さんたちが「港に船を見に行こう」などと言って 子供たちと散歩に行ったが、
子供たちは甲婆さんが軍艦の方をチラチラと見ているのが分かる。
東「あの軍艦を探るのが爺ちゃん婆ちゃんの仕事らしい」
南「俺たちが探ってやろう」
子供たちだけで軍艦を探りに行くことにした。
子供たちはボートに乗って軍艦に向かって進んでいった。
託児所の子供たちが家に帰った後、十干の爺婆は7人の子供が見えないのに気が付いた。
慌てた甲婆はVVに、
「頼む。船を貸してくれ。あんたの幸福商会は貿易をやってるから船くらい持ってるだろ」
VV「どうしたんですか。詳しい話を聞かせてください。包み隠さず」
甲婆「うちの子らが居なくなった。丙爺の船もない。
きっと日本海軍の軍艦に探検に行ったんだ。
私達が軍艦を見に行ったりしたから、きっと興味を持ったに違いない」
VVが幸福カフェ1号店に行くと同級生のMGとナディアがちょうど店番をしていた。
VVはナディアに 「あなたの軍艦を貸して!」と頼む。
ナディア「大砲はついてても、商船なんだけどね。今日はちょうどノラミさんに頼んで大砲を付け替えているところ」
VV、MG、ナディアと十干の爺婆たちは港に向かった。
港に停泊しているナディアの船で、ノラミが助手を使って大砲の更新作業をしていた。
ノラミ「いま丁度新しい大砲を付け終わったところだよー。これから試し撃ちなんだー」
甲婆「あんたたちは一体…」
VVは乗組員に「船を出して!」
乗組員「どこへ?」
「上海沖の日本海軍の軍艦へ!」
VVたちについてきた甲婆はじめ十干たちは絶句。
甲婆「……この娘たち、私らより危ないよ」
十干の爺さま・婆さま達は、 ナディアの船を見て静かに頷く。
丙爺 「……これはただの商船じゃないな」
戊爺 「うむ。どう見ても軍艦だ」
辛婆 「まあ、頼りになりそうだね」
日本海軍の軍艦が沖に泊まっていると、軍艦に近づく木造の船が見える。
見るからに怪しい。
艦長「何だあれは。威嚇射撃してみろ。当てるなよ」
軍艦から小舟からやや逸れたところに何発か大砲が撃ち込まれる。
子供たち「何だ?撃って来たぞ!やばい」
VV「まずい。子供たちの船が狙われている。ノラミさん撃って!」
ノラミ「よーし、試し打ちだよー」
そして砲手に「砲手、用意。……てー!」と命ずる。
砲手撃つ。
一発で日本海軍の軍艦の砲塔に命中。
ノラミ「まずい。命中しちゃった。ちょっと精度が良すぎたみたいだね~」
ナディア「……商船なんだけどね、うちの船」
艦長「新型の主砲が~!主砲が~!」
VVは商船を日本の軍艦に向けて進めながら信号で合図。
VVが無線で「何撃ってるのよ!子供が乗ってるのよ!危ないでしょ!」
艦長「え、子供?いや、威嚇射撃で当てるつもりはなかったんだが」
VV「え、威嚇?ごめんなさい!勘違いでやり過ぎちゃいました!」
艦長「いや、まちがいなら、しょうがない。以後気を付けてくださいね」
艦長(新型砲塔が壊れちまった。まさか民間船に撃たれたとは報告できないし…
こりゃ、何といって報告しよう。
訓練は良好に終了したが砲塔に不具合が出たと報告しておこう)
甲婆は、VVと艦長のやり取りを見て、
静かにため息をつく。
甲婆「……あんたたちは一体……。どこの軍隊なんだ?」
VV「いえいえ、私たちはただの商人です」
ナディア 「商船です、うちの船は」
ノラミ「大砲は最新型だけどねー」
甲婆 「幸福路でVVはマフィアの娘と聞いてたが、冗談かと思ったら本当…いや、それ以上だった」
東南西北「かっこいー」
白發中「助かった~」
甲婆「ばか、何を危ないことしてるんだい!」
子供たち「すみませ~ん」
甲婆「子供たちには生きる力を付けさせようと思ったけど、方向が間違ってたかね。子供に考える力を付けさせるようにするよ」
VV「もうちょっと大きくなったら、うちの商会でアルバイトするのも良いかもしれませんよ。 社会性が身につくから。その子の親御さんたちに伝えておいてください」
甲婆さん「この子たちは親が居なくて私たちが育ててるんだよ」
十干の婆様・爺様たちが子供を抱きかかえるようにして、託児所の方に帰って行った。
VV「将来が楽しみ…というより、恐ろしい子供たちね」
MG「あなたが言う?」 と言ってVV、MG、ナディア、ノラミは笑った。
【2026-0918/260426】
【YouTube動画】
丙爺:(上海語)儂看,小囡白相得老開心个/(日本語)ほらご覧、子供たちがとっても楽しそうに遊んでいるよ
戊爺:(上海語)是啊,箇搭真好/(日本語)
本当だね、ここは本当に良いところだ