上海の国際港(1920年代)

1920年代の上海は「東洋のパリ」や「魔都」と称され、その心臓部であった上海港(黄浦江沿いの港湾群)はアジア最大の国際貿易・金融の拠点として最盛期を迎えていた。

世界的な貿易ハブ:ロンドンやニューヨーク、ロッテルダムに並ぶ世界有数の巨大港湾であり、中国全体の外国貿易の過半数がこの港を経由していた。生糸や茶の輸出、機械・石油・繊維製品などの輸入が活発に行われた。

外灘(バンド)の壮大な景観:黄浦江沿いには「外灘(The Bund)」と呼ばれるウォーターフロントが広がり、香港上海銀行(HSBC)ビルや江海関(カスタムハウス)など、西洋様式の壮麗な銀行・商社・海関ビル群が次々と建設された。

租界制度と多国籍性:外灘から港湾エリアにかけては「共同租界」および「フランス租界」が置かれ、イギリス、アメリカ、日本、フランスなどの外国資本が港湾設備や倉庫、造船所を直接管理していた。

混ざり合う船の交差点:黄浦江には、欧米や日本を結ぶ最先端の大型客船・貨物船、内陸部(揚子江沿岸)を行き来する小型蒸気船、そして伝統的な木造帆船「ジャンク船」や「サンパン」が所狭しと行き交い、独特のエキゾチックな港町風景を作り出していた。

光と影の社会構造:豪華客船で訪れる欧米の富裕層や商人、文化人が行き交う一方で、港湾では「苦力(クーリー)」と呼ばれた中国人労働者たちが過酷な環境で荷揚げを担っており、繁栄の裏に大きな階層格差が存在していた。

■国際港施設

1920年代の上海港は、現代のように単一の巨大な「上海港旅客ターミナル」のような単体施設があったわけではなく、外灘を金融・行政のセンターとし、北外灘を国際旅客の玄関口、浦東を広大な貨物・工業インフラとして分担する、複合都市型の港湾ネットワークを形成していた。
当時、黄浦江(こうほこう)の両岸数十キロにわたって港湾設備が広がっており、用途(旅客・貨物・工業など)や管理組織(国籍や所有企業)ごとにいくつかの明確なゾーンに分かれて機能分担されていた。

●外灘(バンド)周辺:公用・小型旅客ターミナル
主な機能:官公庁手続き、短距離旅客、大型船へのアクセス拠点
特徴:外灘の中央部には海関(カスタムハウス)の税関専用埠頭や公用埠頭があった。大型の国際遠洋航路船は喫水(船体の深さ)の関係で外灘のすぐ横に横付けできないことも多く、ここで小船(テンダーボート)に乗り換えて沖合の大型船へ渡る手順が一般的だった。

●北外灘(北バンド/虹口エリア):国際旅客ターミナル・客貨混合埠頭
主な機能: 欧米・日本との定期遠洋客船、高級旅客ターミナル
特徴: 外灘の北側、外白渡橋を渡った虹口(ホンキュ)地区の黄浦江沿いは、大手海運会社が自社ターミナルを所有していた。
⇒公和祥埠頭(Gao Yang Lu Wharf など):イギリス資本の太古洋行(Butterfield & Swire)や怡和洋行(Jardine, Matheson & Co.)が所有し、欧米からの定期客船(P&O、CPロイヤルメール等)が発着していた。
⇒日本船員・客船用埠頭:日本郵船や大阪商船などの日本系海運会社もこの北外灘周辺に専用ターミナルを構え、長崎・神戸・上海を結ぶ「上海連絡船」などの定期旅客便が頻繁に出入港していた。

●浦東(プードン)地区(対岸):巨大貨物ターミナル・倉庫街・造船所
主な機能:
大規模貨物の荷揚げ、石炭・石油などの資材集積、造船・修理
特徴: 黄浦江を挟んで外灘の対岸にあたる浦東地区は、港湾の物流・産業の中枢。
⇒貨物ターミナル・上陸倉庫(Godown):英国系・米系の商社や海運会社が広大な上陸用埠頭と大型倉庫街群を所有していた。
⇒危険物・重化学品ゾーン:石油会社(シェルやスタンダード・オイル)の専用タンク埠頭や、石炭の積卸港、大規模な英米系造船所(ドック)が立ち並んでいた。

●南市・揚子江(長江)内陸航路エリア:国内貨物・沿岸貿易
主な機能:中国国内の内陸部(長江流域)や沿岸部を結ぶ物流拠点
特徴:外灘の南側(旧城区/中国人が主に暮らす南市地区近く)や黄浦江の上流方面には、中国本土各地の港や長江の上流(南京・漢口・重慶など)を結ぶ河川用小型蒸気船やジャンク船が集まるターミナルが広がっていた。