第41話 奇跡5 工作機械の奇跡

1929年上海。
佐伯義一は32歳の日本人工作機械技師。
日本の町工場の叩き上げであり、特に金型をつくるのが得意で、金型の精密加工にかけては右に出る者はいなかった。

1928年に中国上海で新工場立ち上げの計画が上がり、佐伯は応募して上海に来ていた。
新工場では、生産ラインを作る必要があるが、その製造機械はすべて中国で新設計する計画であった。
西洋の工作機械を輸入するのではなく、日本の技術で新しい工場を稼働するのが佐伯の夢だったが、それを上海で実現させようと思ったのだ。
(日本より、中国で立ち上げる工場の方が俺のアイデアを実用化できるはずだ)と佐伯は考えた。

当時、上海はじめ中国の都市では、伝統的な鋳物の中華鍋の他に、軽量で扱いやすいアルミや薄板鉄のフライパン・鍋・洋食器・洗面器(アルマイト製品)がモダンな生活用品としてブームになっていた。

平らな金属板からフライパンなどを成型するには、プレス機械で鉄板に強大な圧力をかけて成型する必要があった。
・せん断加工:ダイとパンチという型ではさみ、鉄板から切り取るもの
・絞り加工:1枚の金属板を金型で挟み込み、トレイやフタなどを成型するもの
・曲げ加工:刃のようなパンチで溝のついた型に押し付けて折り曲げるもの
さらに難しいのが
深絞り加工(ふかしぼりかこう):1回でプレスするのではなく、何段階かに分けてプレスをすることで絞り加工より更に高度な加工で深型の容器などを成型する。これは、フライパンなどの他、コップや寸胴鍋、蒸し器など深さのある器具を成型することができる。

この絞りや深絞りのプレス機には精密な金型が不可欠。
金型の調整やプレス機のフレーム強度が足りないと、鉄板にシワ、ワレ、くびれ、肉厚の偏りが発生し、鉄板が破れたりする。
佐伯は旋盤・フライス盤・ボール盤を駆使して「プレス機の剛性を出す」「金型を微細に削り出す」のを得意としていた。
佐伯は、中国の工場立ち上げのために日本で採用され、上海に派遣された。

しかし、1929年に新工場立ち上げ準備中に事件が起きる。
1929年10月にアメリカで大恐慌が発生し、庶民の購買力低下によって「高級な新式フライパン」の需要は消失。
真鍮・アルミ・鉄は価格が暴落し、作っても売れない。例え作っても安くしか買われなくなってしまったのだ。
新しい工場は不要と判断され、計画は頓挫。佐伯は途中まで組み上げた未完成の大型プレス機の前に立ち尽くすしかなかった。

中国側経営者「佐伯さんの腕は知っているが、新工場計画が立ち消えになったからには、うちでは雇えないよ」
佐伯(しかし、日本に帰っても俺の居場所は無い…)
更にまずいことに、日本側企業は倒産。佐伯の給料は滞っており、佐伯には日本に帰るための旅費も残っていなかった。

佐伯が工場を出ようとしたところに、工作機械メーカーの技師がやってくる。
技師「話を聞いて飛んできたんです。佐伯さん、日本に帰るんですか…」
佐伯「日本に帰っても俺の居場所は無いし、実は帰る金も無いんだ」
技師「じゃあ、佐伯さん、ぜひお願いします。工作機械を作る工場を、立ち上げたいと言う人がいるんです。いいですか、ただの機械ではありません。旋盤やボール盤、工作機械を作る工場です。うちの工作機械は外国製ですが、中国で工作機械を作ると言っている人がいるんです」
佐伯「工作機械を作る工作機械か」
技師「工作機械などは、精度が普通の機械の比ではありません。どうか、指導して下さい」
佐伯「その経営者とは」
技師「幸福商会のVV(薇薇)さんという、女学校生です」
佐伯「( ゚Д゚)」

佐伯が工作機械メーカーの工場を訪ねる。
(この工場を買収した人がいる。しかも女学校生だと?)
佐伯は工場内を見回す。様々な工作機械が並んでいる。全て西洋の一流メーカーの製品だ。

・旋盤
金属を回転させて削る、工作機械の王様。
・フライス盤
回転する刃物に金属を当てて平面や溝を削る機械。
・平削り盤(シェーパー・プレーナー)
刃物が往復運動をして金属の平らな面を削る機械。大型のベース(台座)を作るのに欠かせない。
・ボール盤
穴あけ加工を行う機械。
・研削盤(グラインダー)
砥石を高速回転させて、金属の表面を鏡のように精密に仕上げる機械。
などが並んでいる。どれも外国製だ。

佐伯は作業をしている者たちの話を聞く。言葉の端々に出てくる機械の名前。
・車床(チェーチュアン / chē chuáng)= 旋盤
・銑床(シエンチュアン / xǐ chuáng)= フライス盤
・刨床(バオチュアン / bào chuáng)= 平削り盤(シェーパー・プレーナー)
・鉆床(ズアンチュアン / zuàn chuáng)= ボール盤
・磨床(モーチュアン / mó chuáng)= 研削盤(グラインダー)
佐伯(分かる!分かるぞ。使っている機械も作業もやることに変わりはない)

しかし、佐伯を見た中国人技術者の口から「洋鬼子(ヤングイツ)」と呟くのが聞こえた。
佐伯は苦笑する「洋鬼子(西洋人)じゃなくて、東洋鬼子(日本人)の方だけどな…」

佐伯が工場を見回っていると、中国人作業員が「どうしても精度が出ない」「動かすとすぐに焼き付く」と頭を抱えていた。
佐伯「どれ、見せてくれ」
佐伯が油まみれになりながら、単身で旋盤に向かい、コンマ数ミリの誤差を補正して部品を削り出す。
佐伯「金属は加工中の熱で歪み、冷めれば戻る。その誤差を見込んで加工するんだ」

佐伯が顔を上げると、中国人技術者が佐伯に「師傅(シーフ)、こっちも見てください」と呼ぶ。
佐伯「(師傅?俺のことか?)ああ、どれだ?」佐伯は足早に呼ばれた方に向かった。

行ってみると、「きさげ(Scraping)」という技術で、鋳物の表面を専用の刃物で手作業で削り、ミクロン単位の平滑面(オイルポケット)を作る工程だった。
佐伯はその工程を実践して見せながら、
「機械に国境はないが、技術には西洋と東洋の間で国境があった。しかし、俺はその国境を越えて見せる」
と佐伯は心の中でつぶやいた。

その頃、幸福商会の奥で、VVはポスターを描くために定規を持って真剣な顔でMGに相談している。
VV「ねえ、定規の直線て、どうやって作るのかな」
MG「精密な定規で作るんじゃない?」
VV「じゃあ、その精密な定規ってどうやって作るのかな?」
MG「さあ、もっと精密な定規を使うんじゃない??」
VV「じゃあさ、じゃあさ、いっちばん最初に平らな面とか真っ直ぐな線を作った人は、どうやって作ったのかな?」
MG「もう、知らないわよ。神様が削ったんじゃない?」
VV「ふふ、人間が自分の手で作ったんだと思うな。絶対!」

【2026-10-10/260506-1,260606(2)】

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