アッシュ四世爆殺未遂事件

1928年、上海の雑踏
大通りを車いすで進むノラミが、人力車と軽く接触した瞬間、車いすは横倒しになった。
転がった車いすの向こうで、トラムのベルが鋭く鳴り響く。

偶然通りかかったレオンが叫ぶ。
「危ない!」
迷いなく飛び込んだレオンは、ノラミを抱き上げて線路から引き離した。
車いすはそのままトラムの下に吸い込まれ、金属音を立てて押し潰される。

レオンはノラミをそっと地面に降ろし、息を整えながら言った。
「危なかったな」

ノラミはケロッと笑う。
「ありがとう。ほんと死ぬとこだった。あなた親切ね」
レオンは彼女の金髪を見て眉を寄せる。
「ロシア人か? 金髪だが顔は東洋的だ」
「韓国人。満州から来たの。母がロシア系だから色素が薄いの」

レオンはノラミを背負い、夕暮れの街を歩き出した。
ノラミは背中にしがみつきながら嬉しそうに言う。
「楽しいね。人に背負ってもらうのって、何年ぶりだろ」
レオン「……あんまりしがみつくな。背中に胸が当たる」

ノラミ「え、そう? ごめん。じゃ、ゆるくね」
レオン「……それでいい」

病院の帰り、紅江区のノラミの家に入ると、扉の向こうから金属の匂いと微かな電気音が漏れていた。
「車いすはもう一台あるから」
ノラミは鍵を開け、レオンに車いすへ乗せてもらう。

部屋に入ったレオンは思わず立ち止まった。
そこは小さな研究所のようだった。
壁には回路図、机には工具、棚には自作の装置がぎっしり並ぶ。

ノラミ「ここが私の家。座っててね」
レオンは机の横の丸い金属物を顎で指す。
「これは何だ?」
「ああ、それね。国民党軍に頼まれたの。日本軍の爆弾を安全に処理する研究中」
「おまえ、そんな仕事までしてるのか」

ノラミ「紅江交通大学で兵器の研究をしてる。日本軍も国民党軍も米軍もソ連軍も依頼してくるよ。だって楽しいんだもん。あ、それ信管は抜いてあるから大丈夫。
 ほら、こっちは“電磁波で料理を温める機械”。冷蔵庫も電熱器も自作したよ。
 私のあだ名ノラミは遊べって意味。みんな遊び」
レオンは呆れたように、内心は感心しながら言う。
「……おまえの“遊び”は、世界を変えるな」
ノラミは照れたように笑った。
「遊んでるだけだよ。ずっと昔から」

夜更けになっても、部屋には小さな機械音が続いていた。
ノラミが電熱器で湯を沸かしながら言う。
「今日は泊ってく?」
「……男が泊まることはあるのか?」
「研究が遅くなるとね。朝まで作業すること、時々あるよ」
レオンは少し考え、静かに頷いた。
「じゃあ……ゆっくりさせてもらおうかな」

その夜、二人は遅くまで話した。ノラミは研究のことや、満州のことなどを話し、レオンも珍しく自分のことを話した。

翌朝、ノラミは電熱器で沸かしたコーヒーを差し出す。
レオンは受け取りながら、少し視線をそらした。
「……お前、昨日……初めてだったのか?」
ノラミは素直に頷く。
「うん。キスも、何もかも全部」
レオンは言葉を失い、耳まで赤くなる。
「……そうか」

ノラミはふっと笑った。
「ねえレオンも“誰かの初めてになる”のは、初めてだった?」
「……ああ」
「じゃあ、私たち、初めて同士だね!」

数日後、幸福1号店の扉が勢いよく開き、紅烈が飛び込んできた。
「大変だ! うちの運送屋の荷物の中に爆弾があった。ショッピングモールのレストランに届けちまった!」
VV(薇薇)MG(マリゴールド)が同時に顔を上げる。
「商工会の会合が12時からある。会場ごと吹き飛ばすつもりだ」

MGは腕を組む。
「今日の会合はカーフェイ(アッシュ四世=VVの異母兄弟)が演説するんだったわね」
VV「カーフェイより、お客様が危ないわ」
MG「カーフェイは心配じゃないの?」

紅烈「レオンを呼ぶか?」
VV「もちろん。あの人がいなきゃ間に合わない」

VVは日本海軍陸戦隊へ電話をする。
「霧島少尉(レオンの日本名)をお願いします」
レオンが出ると、VVは状況を伝えた。
「時限爆弾よ。モール全体が吹き飛ぶかもしれない」
「分かった。今は11時か。20分で行く。現地で待っててくれ」
レオンは作戦会議中の軍人たちを置いて、軍服のまま駆け出した。

レオンの車は大学構内に滑り込み、研究棟へ駆け上がる。
ノラミは回路図に囲まれ作業中だった。
「ノラミ、緊急事態だ。すぐ来てくれ」
「えー……この“仕掛け”、3時までに処理しないと爆発するんだけど」
「こっちは正午12時だ」
ノラミは一瞬考え、明るく言う。
「分かった。そっち終わってから戻ってきて、こっちもやるよ」
レオンは苦笑した。
「助かるよ」

モールへ向かう途中、道路は完全に詰まっていた。
時計は11時20分。
「……ダメだ。ここからは走る」
「え、ここから? モールまで2キロあるよ?」
レオンは車を止め、ノラミを背負う。
「しっかりつかまれ」
「わーい、またおんぶだ。今日で二回目だね」

渋滞の横を風のように駆け抜けるレオン。
ノラミは揺れながら笑う。
「ねえレオン、大好き」
「……黙ってろ。息が切れる」

モール裏口でVV、MG、紅烈が待っていた。
レストランに案内され、爆弾の前に座ると、ノラミは即座に構造を見抜く。
「日本陸軍のタイプ。ここを開けて、ここを切れば……ほら大丈夫」
MGは呆れたように言う。
「まるでおままごとね」

爆弾処理後、職員たちがねぎらいのお茶を出す。
VVはレオンとノラミを見て言う。
「レオンに恋人がいたとは知らなかったわ」
レオン「恋人ではなく、妻だ」
ノラミ「事実婚だけどね」

VVは一瞬、目を丸くし、頬がほんのり赤くなる。
MG「VV、何赤くなってるの?」
VVは慌ててそっぽを向く。
VV「な、何でもないわ」
MGは首をかしげる。
MG「VV、……もしかして、未経験なの?」
VV「MG!」
MGは肩をすくめて笑う。

ノラミは自己紹介する。
「私、ホァン・ミンドゥルレ。ミンドゥルレはタンポポの意味。
 でも、みんなはノラミって呼ぶよ」
VV「ノラミさんね。よろしく」

皆に聞こえないように、レオンとノラミが小声で囁き合う。
ノラミ「3時までに帰らないと研究室の“仕掛け”が爆発するんだけど」
レオン「分かってる。お茶を飲んだら送るよ」

事件後、二人はそのまま同居を始めたが、日常は変わらなかった。

ある日、日本海軍から急な呼び出しが入る。
軍港に仕掛けられた機雷の除去だ。
レオン「行ってくれるか?」
ノラミ「行くーー!」

軍用機で飛び立つ瞬間、ノラミは笑った。
「わーい、新婚旅行だ!」
レオン「嬉しいのか?」
ノラミ「嬉しい!」

レオンは思う。
(この子は俺に負担をかけることが無い。本当に綿毛のように軽い)

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