第45話 劉凱(リウ・カイ)と教会の鐘事件

1928年上海。
共同租界にある紅江区の幸福路の近くに、新しいカトリック教会が建てられることになった。
カトリックの協会には、フランス租界の洋泾浜圣若瑟堂(洋涇浜聖ヨゼフ教会)や、郊外にある東洋最大級の「徐家匯天主堂(聖イグナチオ大聖堂)」など立派な協会がいくつもあったが、共同租界内にもカトリック教区を分け、そこそこの規模で新しい教会を建てることになったのだ。

共同租界ではイギリス人・アメリカ人・ドイツ人などのプロテスタントが多く、イタリア系やポルトガル系、アイルランド系のカトリック信者がいたとしても、隣のフランス租界に立派なカトリック教会や施設が揃っていたため、共同租界内にはカトリック教会が増えなかった経緯がある。
しかし、イタリア系の一部富裕層の中にフランス租界へ通うのを嫌う風潮があり、共同租界内の幸福路の近くにカトリック教会を作ることになったのだ。

この教会の建築を請け負ったのは顧建築の建築事務所。顧建築がニューヨーク帰りということもあり、その腕を買われたようだ。
幸福路で「カフェ幸福1号店」を経営するVV(薇薇)は、
「紅江区にはマリア教会とか大きなプロテスタント教会があるから、カトリック教会を作っても見劣りすると思うけどね」
と呟いた。

新しい教会に配属されることになったフランス人の神父は、信者から寄付を募って建築に取りかかり、1929年には無事にカトリック教会が完成した。
共同租界のカトリック信者数はそこまで多くないため、こじんまりとした可愛らしい教会であった。
ところで、その教会に取り付ける鐘について、金持ちの信者の中から「鐘にだけはこだわりたい」という声が出て、完成直前に仕様が変更されたらしい。

噂を聞いたVVが「こんな狭いところで大きな鐘を鳴らさなくていいんじゃない?」と言っており、近隣の者もそう思っていたが、結局は直径が2割ほど大きな鐘に変更となった。

神父は青くなっていたが、なんとか予算内で収めることに成功したようだ。
鐘は顧建築事務所ではなく、神父が上海で見つけた工場に直接発注したらしい。

しかし、いよいよ教会が完成し、お披露目をしようというときに、この鐘が盗まれた。
幸福1号店に来た信者が「盛大に鐘を鳴らしてやろうと思ったのに…」と悔しがるのに対して、VVは「鐘が無くなって静かでいいわ」と心の中で呟いた。

その鐘が盗まれた夜、近くで劉凱が台車を押しながら歩いていたのを見た者がいた。
VVは「ただ歩いていただけじゃない?」と言ったが、信者たちは「怪しい」と噂し合った。
劉凱は貧民街に住む少年だ。
紅烈が不良少年の更生のために「紅蓮隊」を組織して仕事を分け与えたりしていたが、劉凱は紅蓮隊には加わっていなかった。紅烈が運送店で働かないかと声を掛けたが、一人で何かをやっているらしい。

紅烈は「まさかあいつが教会の鐘を盗んだのか?」と驚いたが、VVは「劉凱がこんな事件を起こすはずがない」と断言する。

スタッフのMGが「何でそう思うの?」と聞くと、
VVは「あんな賢い子が、こんなにすぐバレるような罪は犯さないわ」と答える。
スタッフのナディアが「皆は悪賢いと噂してるわよね」と言うと、マナは「VVは違う意味であの子を理解しているんですね」と頷いた。

VV「あの子はね、頭が良いし、よく考えている。でも人に説明するのが下手なのよ」
しかし、信者が警察に訴えたことで劉凱は捕まってしまう。取り調べは長く続き、一向に釈放されない。劉凱が一切口を開かないからだ。
VVは証拠もないのに疑いだけで捕まったことが許せず、「真犯人を捕まえましょう」と立ち上がる。
MGも「劉凱が無実なら、それを証明するのが一番手っ取り早いわね」と同意した。

VVと紅烈は劉凱の顔見知りに声を掛けて事情を聴く。
VV「劉凱が普段何をしているか知ってる?」
少年A「あいつはよく、銅を拾いにゴミ集積場に行っていたよ」
紅烈「拾った銅を売っていたのか。それで鐘も盗んだのか?」
少年B「分からないけど、そんな度胸はないんじゃないかな」

次にVVは、MG、マナ、ナディアと共に現場である教会に向かう。真新しい教会の事務室に神父がいた。
VV「鐘が盗まれた現場を見せてください」
神父はVVたちを鐘楼に案内した。鐘楼は4階ほどの高さで、1階入口脇の階段からすぐに上がれるようになっていた。
鐘楼に上がると、確かに鐘はない。吊り下げる鈎には掛けた形跡があるが、実物が消えている。

VV「神父様、鐘の重さは?」
神父「30キロくらいはあったと思います」
VV「30キロを抱えて遠くまで運ぶのはきついですね」
MG「取り付けた時はどなたが?」
神父「経費節減で私が取りつけました。以前は貧しい教会にいたので、簡単な工作や修理、設置は自分でできるのです」
MG「体格が良いですからね」
VV「でも、犯人が30キロを持って帰るのは大変ですよね」
神父「抱えて歩くのは骨が折れると思います」
マナ「劉凱はその夜、台車を押していたらしいですよ」
MG「台車があれば…」
神父「私は人を疑いたくないので…」
VV「…」

VVは神父をじっと見る。神父は目をそらす。VVはマナに目配せをした。
マナ「鐘を大きいものに変更したそうですね」
神父「はい。完成直前に、直径が2割ほど大きなものを発注し直しました」
マナ「では、製造費も上がりましたよね」
神父「ええ、やはり2割くらい高くなりました」
マナ「神父様、嘘をついていますね」
神父「ええ!?」
マナ「だって、鐘の寸法(直径)が2割大きくなったら、必要な銅の量は 1.2×1.2×1.2=1.728 倍になります。工費も含めれば価格はもっと高くなるはずです。2割程度の追加予算で作れるわけがありません」
神父「…す、すみません、私が嘘をついていました!」

神父の告白を受け、主な信者たちが集められた。
カフェ幸福1号店のVV、MG、マナ、ナディア、そして紅烈も同席している。その中には情報屋のチンパンの姿もあった。
VV「なんでチンパンがいるの?」
チンパン「俺もカトリックなんだよ」
MG「うそ」
チンパン「嘘じゃねえって」

神父「すみません。私が嘘をついていました。鐘を大きくすると予算が足りなくなるため、安物の粗悪な鐘を作らせたのです。大きさと見た目は十分でしたが、あまりに酷い音がするため、お披露目で鳴らすわけにいかず…夜のうちに私が鐘を取り外し、裏庭に埋めて盗まれたことにしたのです」
紅烈「そのせいで劉凱が警察に捕まっているんだぞ!」
神父「本当のことが言い出せずに、本当に申し訳ありません…」

教会の信者たちが口々に神父を責め始める。
信者A「神父が嘘をつくなんて!」
信者B「そうだ、教会が穢されたじゃないか!」

責め立てる信者に対し、チンパンが怒鳴り散らした。
「バカ野郎、神父を追い詰めたのはお前らじゃねえか! だいたい教会ってのは建物じゃねえ、人の集まりなんだよ。デカい鐘なんて要らねえんだ!」
皆が目をぱちくりさせる。
MG「チンパンがまともなことを言ってる…」
ムスリムのナディアも「イスラムのモスクも本来そういうものです」と頷いた。

信者A「すみません…私たちは神父様に無理ばかり言っていたかもしれません」
信者B「これだけの教会を作っていただいたのに、さらに大きな鐘をねだった自分が恥ずかしいです」
信者たちは反省して神父に謝罪し、神父も改めて頭を下げた。
「私が正直になれなかったばかりに、多くの方に迷惑をかけました。特に劉凱君には申し訳ないことをしました」

神父が警察に事情を話したことで、劉凱はすぐに釈放された。
釈放された劉凱は、紅烈、VV、MG、マナ、ナディア、チンパン、そして神父に囲まれて「幸福1号店」にいた。
神父「劉凱君、本当にごめんなさい」
劉凱「別に神父さんが俺を捕まえたわけじゃないから、いいよ」

VV「警察では一言も口を利かなかったんですって?」
劉凱「警察は信用できないからね」
ナディア「今までコツコツ働いていたみたいだけど、お金は何に使うつもりだったの?」
劉凱「貯めてあるよ。俺も紅烈の兄貴みたいに会社をやりたいんだ」
紅烈「じゃあ、俺と一緒にやればいいじゃないか」
劉凱「俺、みんなとやるのが苦手だから、一人でやろうと思って」

劉凱はVVの方を向き、「俺は今まで人の言うことを聞かずに迷惑もかけてきたのに、なんで助けてくれたの?」と尋ねた。
VV「あなたは悪い子じゃなくて、自分が納得しないと気が済まないだけ。単にへそ曲がりなだけよ」
劉凱「…」
VV「あなたのやることは周りに理解されにくいけど、自分の考えをしっかり持っているのは良いことだと思うわ」

MG「VVも法律とか固いことは嫌いだもんね」
マナ「意外とVVとこの子、似てるんじゃないですか?」
劉凱「俺のことなんか誰も理解してくれないと思ってたけど…これからは勝手にやらないで、まず周りに話すことにするよ」
チンパン「よし、それじゃあ、俺が商売を鍛えてやるよ」
VV「それいいかも。がめつい商売に関してはチンパンの右に出る人はいないからね」
劉凱「このおじさん、怖そうなんだけど…」
店内に大きな笑い声が響いた。

その後、信者たちは改めて寄付を募って鐘を作り直したが、出来上がった鐘はとても小さなものだった。
幸福路にあるカトリック教会の鐘が建物の規模に対して著しく小さいのは、こうした事件があったからなのだと、後々まで語り継がれることになる。

【2026-10-16/260506-2】

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