1900年から1930年にかけてのヨーロッパは、繁栄の絶頂から史上空前の大戦争へ突き進み、その後の混乱と狂騒を経て、次の破滅(第二次世界大戦)へ向かう激動の30年間である。この時代の流れを4つのフェーズに分けて整理する。
嵐の前の静けさと緊張(1900〜1914年)
20世紀初頭のヨーロッパは、科学技術と文化が花開いた「ベル・エポック(良き時代)」と呼ばれる繁栄期にあった。しかしその裏では、大国間の利害が複雑に絡み合い、戦争の火種が各地で燻っていた。
帝国主義の行き詰まりと「ヨーロッパの火薬庫」
イギリスやフランスなどの先発資本主義国に対し、後発のドイツは急速な工業化を背景に、植民地の再分割や世界市場での地位向上を要求した(※「3B政策」は誤用が多いが、ここではドイツの中東進出構想として扱う)。
これにより列強間の対立は激化した。
特にバルカン半島は、オスマン帝国の衰退に乗じてロシアの南下政策(パン・スラヴ主義)とオーストリアの拡大方針(パン・ゲルマン主義)が衝突し、いつ爆発してもおかしくない状況であった。
二大陣営の形成
複雑な外交戦の結果、ヨーロッパは以下の二つの同盟に分断された。
三国同盟:ドイツ・オーストリア=ハンガリー・イタリア
三国協商:イギリス・フランス・ロシア
この構造により、どこか一箇所で紛争が起きれば、連鎖的にヨーロッパ全体を巻き込む仕組みが完成してしまった。
第一次世界大戦の勃発(1914〜1918年)
1914年6月、サラエボでオーストリア皇太子夫妻が暗殺される事件が発生し、同盟の連鎖によってわずか1ヶ月で大戦争へ発展した。
総力戦と塹壕戦
当初は「クリスマスまでに終わる」と楽観視されていたが、機関銃・毒ガス・戦車などの新兵器により戦線は塹壕戦へと泥沼化した。
戦争は国家の経済・労働力・科学技術のすべてを動員する総力戦となり、数百万人が命を落とした。
ロシア革命(1917年)
戦争の長期化で疲弊したロシアでは革命が勃発し、ロマノフ朝が崩壊。レーニン率いるボリシェヴィキが世界初の社会主義国家(のちのソ連)を樹立した。ロシアは戦線を離脱する。
終戦と帝国の崩壊
1917年にアメリカが連合国側で参戦したことで均衡が崩れ、消耗しきった同盟国側は次々と降伏。
1918年11月に休戦を迎え、ドイツ・オーストリア=ハンガリー・ロシア・オスマンという四つの巨大帝国が崩壊した。
狂騒の20年代と仮初めの平和(1919〜1929年)
戦後、戦勝国を中心に新たな国際秩序の構築が進み、一時的な経済繁栄が訪れた。
ヴェルサイユ体制の光と影
1919年のパリ講和会議でヴェルサイユ条約が締結され、国際連盟が設立された。東欧の諸民族は独立を認められたが、同時にドイツには過酷な領土割譲と巨額の賠償金が課された。
ドイツのハイパーインフレと復興
1923年、賠償金支払いの滞りを理由にフランスがルール地方を占領すると、ドイツ経済は崩壊し、世界史上でも特異なハイパーインフレが発生した。
その後、アメリカの財政援助(ドーズ案)により経済は持ち直し、1920年代後半にはロカルノ条約の締結など、束の間の平和が訪れた。
イタリアのファシズム台頭
戦勝国でありながら十分な見返りを得られなかったイタリアでは、1922年にムッソリーニが政権を掌握し、ファシズム体制が成立した。
破滅への転換点(1929〜1930年)
1920年代後半の繁栄は、アメリカからの巨額の投資と融資に依存した「砂上の楼閣」であった。
世界恐慌の波及(1929年)
1929年10月、ニューヨークのウォール街で株価が大暴落し、世界恐慌が発生。アメリカ資本に依存していたヨーロッパ、特にドイツは直撃を受け、失業者が溢れた。
1930年のヨーロッパ
イギリスやフランスは植民地を囲い込むブロック経済で自国を守ろうとしたが、植民地を持たないドイツは完全に孤立した。
国民の絶望と怒りは極限に達し、これが1930年代のヒトラー(ナチ党)急速な台頭と、第二次世界大戦への道筋を決定づけることになる。
■主要年表(簡易)
1914年 6月 サラエボ事件
1917年 ロシア革命
1918年11月 第一次世界大戦終結
1919年 6月 ヴェルサイユ条約調印
1929年10月 世界恐慌勃発