1900年から1930年のロシアとその周辺国は、「巨大帝国の崩壊」から「史上初の社会主義国家の誕生」へと至る、世界史でも屈指の激動期である。
前史:革命の火種が生まれた理由
19世紀末のロシア帝国は、ロマノフ家による絶対君主制が続いていた。工業化は西欧に遅れて進んだため、都市労働者は過酷な環境に置かれ、農民は依然として貧困に苦しんでいた。深刻な社会不安と政治への不満が蓄積し、革命の土壌が形成された。
1900〜1930年の激動タイムライン
日露戦争と第1次ロシア革命(1904〜1905年)
満洲・朝鮮半島の利権を巡って日本と開戦。ロシア軍の敗北が続き、国内の不満が爆発した。1905年1月、非武装のデモ隊が軍に銃撃された「血の日曜日事件」(※正称を訂正)が革命の引き金となり、皇帝は国会(ドゥーマ)開設を約束せざるを得なくなった。
第一次世界大戦への参戦(1914年)
ロシアは英仏とともに協商国側で参戦したが、敗戦が続き、経済は崩壊。都市では深刻な食料・燃料不足が発生し、社会不安が極限に達した。
ロシア革命(二月革命・十月革命 / 1917年)
二月革命:暴動と軍の離反により皇帝ニコライ2世が退位し、ロマノフ朝が崩壊。
十月革命:臨時政府をレーニン率いるボリシェヴィキが武装蜂起で打倒し、史上初の社会主義政権が成立した。
ロシア内戦と周辺国の独立(1918〜1922年)
赤軍(革命勢力)と白軍(反革命勢力)が激しく衝突し、英仏米日などの外国軍も干渉戦争を行った。この混乱の中で、ロシア帝国領だった周辺地域が次々と独立を宣言した。
ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)の成立(1922年)
内戦を制したボリシェヴィキ政権は、ロシア・ウクライナ・ベラルーシ・ザカフカースの4共和国を統合し、ソ連を樹立した。
スターリンの権力掌握と5カ年計画(1924〜1930年)
1924年にレーニンが死去すると、スターリンが後継争いを制して独裁体制を確立。1928年から「第1次5カ年計画」を開始し、急速な工業化と農地の強制的集団化(コレクティヴィザーツィヤ)を推進した。
周辺国の動向:帝国崩壊がもたらした光と影
1.独立を果たした国々(東欧・北欧)
ロシア帝国の西側地域では、混乱に乗じて独立運動が成功した。
ポーランド:120年以上の分割支配を経て1918年に独立を回復。1919〜1921年のソビエト・ポーランド戦争で国境を確定した。
フィンランド・バルト三国:1917〜1918年にロシアから独立。ソ連の脅威を警戒しつつ国家形成を進めた。
2.再びソ連に組み込まれた地域(ウクライナ・中央アジア)
一度は独立を宣言したものの、最終的にソ連の武力によって再統合された地域も多い。
ウクライナ:1917年に独立を宣言したが、赤軍・白軍・ポーランド軍などが入り乱れる戦場となり、最終的にソ連構成共和国として組み込まれた。
中央アジア:カザフの「アラス自治国」などが誕生したが、ソ連の支配下に置かれ、1920年代後半のスターリンによる定住化政策と集団化で伝統的な遊牧生活が破壊され、多数の餓死者が出た。
3.東アジア(モンゴル)
1921年、ソ連の支援を受けて「モンゴル人民共和国」が成立。世界で2番目の社会主義国家となり、事実上ソ連の衛星国となった。
まとめ:1930年の到達点
1930年頃には、旧ロシア帝国は「ソ連」という強力な中央集権的社会主義国家へと再編されていた。周辺の東欧諸国はソ連への警戒を強め、国内ではスターリンによる大粛清と強制的近代化の足音が迫る、緊張に満ちた時代へ突入していった。
【kisono1930における設定】
霧島 朔(さく)/レオンの母がアジア系ロシア人
ノラミ(ホァン・ミンドゥレ)の母が白系ロシア人
ミーシャは白ロシア人
ソビエト編でロシア及びシベリアが舞台となる