1900〜1930年のアフリカ

1900年から1930年頃のアフリカ大陸は、ヨーロッパ列強による植民地支配が完成し、第一次世界大戦による大規模動員を経て、戦後の知識人層による初期の独立運動が芽生えた時代である。

■ 前史:アフリカ分割(19世紀末)

1884〜1885年のベルリン会議を契機に、ヨーロッパ列強は「アフリカ分割競争(Scramble for Africa)」を急速に進めた。
沿岸交易中心だった支配は内陸へ拡大し、民族や言語を無視した直線的な国境線が引かれた。
1900年頃に独立を保っていたのはエチオピア帝国とリベリア共和国のみで、ほぼ全土が植民地化されていた。

■ 1900〜1930年の三つのフェーズ

1 植民地体制の確立と抵抗の鎮圧(1900〜1914)
列強の統治が本格化した時期。
南アフリカではボーア戦争が終結し、1910年にイギリス自治領「南アフリカ連邦」が成立。
一方、ドイツ領南西アフリカ(現ナミビア)ではヘレロ・ナマ人虐殺が発生し、コンゴ自由国ではゴム採取の強制労働が横行するなど、搾取と抵抗・鎮圧が繰り返された。
2 第一次世界大戦と植民地支配の再編(1914〜1918)
大戦はアフリカ植民地も戦場とし、英仏軍とドイツ軍が各地で衝突した。
兵士・ポーターとして200万人以上のアフリカ人が動員された。
戦後、ドイツ植民地(タンガニーカ、カメルーンなど)は国際連盟の委任統治領として英仏に再配分され、植民地支配の枠組みが再編された。
3 初期ナショナリズムの芽生え(1919〜1930頃)
大戦後、アフリカ人の間で権利意識が高まった。
1919年にはパリで第1回パン・アフリカ会議が開催。
エジプトは1922年に条件付き独立を達成し、西・東アフリカでも教育を受けたエリート層が政治団体や労働組合を結成し、のちの独立運動の基盤が形成された。

■ この時代が生んだ三つの構造的変化

1 モノカルチャー経済の形成
列強は原料供給のため、カカオ・綿花・コーヒーなど特定作物や鉱物の大量生産体制を強制した。
その結果、食料自給率の低下という構造的問題が生まれた。
2 伝統社会の破壊と分断統治
列強は特定の部族を優遇し、他部族を監視させる「分断統治」を行った。
これは独立後の部族対立の火種となった。
3 反植民地ナショナリズムの誕生
搾取と差別への経験から、異なる民族が「アフリカ人」「国民」としての共通意識を持ち始めた。
1950年代以降の独立運動(いわゆる「アフリカの年」)の基盤は、この時期に形成された。

■ 第一次世界大戦でのアフリカ人動員

・総計200万人以上が兵士・ポーターとして徴用
・フランスは西アフリカ主体の「黒い軍隊」を編成し、約20万人を欧州戦線へ投入
・東アフリカ戦線では軍馬が疫病で壊滅し、物資運搬のほぼ全てを人力に依存
・イギリスは約100万人のポーターを徴用し、過酷な環境で多数が死亡
・強制徴募や村の包囲など、暴力的な動員も多発
・戦後、権利が与えられず、差別と増税が続いたことで政治的覚醒が進んだ
・復員兵は読み書き・語学・軍事組織運営を習得し、のちの独立運動の指導層となった

■ 総括

1900〜1930年代は、アフリカの人々にとって極めて抑圧的な時代であると同時に、独立への意識とエネルギーが静かに蓄積された時代である。