第29話 マルゴの咲く場所

1928年、上海紅江区にある高級サルーン「華影楼」。

幸福1号店」と「幸福食堂」を開いたばかりの頃、幸福商会の運転資金を稼ぐため、VV(薇薇)MG(マリゴールド)は華影楼で週に何回か歌手としてステージに立っていた。

華影楼には、VVとMGの先輩で「マルゴ」と呼ばれる歌手がいた。
マルゴは本名のマルグリット(Marguerite)からきた愛称だ(フランス語でマーガレット、ひなぎくの仲間を意味する)。

フランス人で、少しそばかすがある色白の顔立ち。髪はショートウェーブで、細身な体には清楚なドレスがよく似合った。

歌声は中性的で儚げだが、圧倒的な存在感があった。
マルゴが歌を歌う姿は大人っぽくもあり、ただ「美しい歌を歌いたい」という純粋な意識に満ちていた。
その実力には音楽監督のサーシャも一目置いている。

マルゴはVVやMGたちと楽屋が一緒だった。
着替えの際も器用に物陰で済ませていたため、VVもMGもまったく気に留めていなかったが、ある日、華影楼のオーナーであるミーナが言った。

「あなたたちって、本当に気にしないわね」
VVとMGが「何が?」と首をかしげると、ミーナは呆れたように続ける。
「だって、マルゴはあんなふうに見えても、やっぱり男の子じゃない。気にならないの?」
目を白黒させるVVとMG。

マルゴは舞台以外でもそのイメージを崩さず、普段から「似合うから」と言って清楚なワンピースやドレスを着ていた。
女の子にしか見えない立ち振る舞いで、周囲もまったく違和感を覚えていなかったのだ。

華影楼の歌手はプロモーションも兼ねて、よく雑誌や映画にも出演していた。
マルゴも映画や誌面に登場すると、その独特の雰囲気で華影楼の中でも特に高い人気を誇るようになった。

そんなある日、日本からやって来た新進気鋭の洋画家・春野新作という男がいた。
彼は自分の絵のモデルを探しており、映画館でマルゴが出演する作品を見て「あれこそ僕が求めていた清楚なフランス人形だ!」と興奮し、そのまま華影楼へと駆け込んできた。

新作がミーナに「マルゴをモデルにしたい!」と申し出ると、ミーナは「どうぞ」と規定の紹介料を受け取り、マルゴがモデルになることを許可した。

マルゴが初めてアトリエを訪れる日、新作は興奮で卒倒しそうだった。
絵のモデルになってもらうため、「これに着替えてほしい」と用意したドレスを差し出す。
マルゴはパーテーションの裏へ回り、素直に着替え始めた。
その着替えの最中、ふとした仕草や体つきから新作はマルゴが男性であることに気づく。

しかし、着替えを終えて椅子に腰かけ、マルゴが優しく微笑んだ瞬間、新作の胸から迷いは完全に消え去っていた。
「美しさに性別など関係ない」

新作は憑かれたように筆を走らせ、数日で一気に絵を描き上げた。
その作品は上海の美術展覧会に出品され、見事、最高賞を獲得する。
マルゴを描いた絵は美術雑誌にも取り上げられ、美術愛好家の間で大きな話題となった。

最高賞をとった新作は授賞式レセプションに招待され、賞状を受け取ることになった。
新作から「一緒に来てほしい」と頼まれたマルゴは、快くそれを承諾する。

しかしレセプションのさなか、新作が満場一致の拍手の中で賞状を受け取ろうとしたまさにその瞬間、会場内に大声が響き渡った。

「そのモデルは、実は男なのだ!」
声を上げたのは、新作をライバル視する日本人画家・古家覚三であった。
その言葉を聞いて怒りだすVVとMG。
しかし、当のマルゴは静かに微笑みながら会場の動向を見守っていた。

会場は一瞬静まり返ったものの、すぐにざわめき始め、ひそひそ話が広がり出す。耳打ちで話し合う関係者、頷く審査員たち。
そして次の瞬間、会場の客席から呆れたような声が上がった。

「だから、それが何だっていうんだ?」
「ここは上海だぞ。そんなことを気にしているのは、あの古家とかいう男だけじゃないか?」
「まさかあいつ、マルゴを知らないのか? あんなに有名な歌手なのに」

会場にいる者たちは、一斉に古家へ冷ややかな視線を向けた。
いたたまれなくなった古家は、顔を真っ赤にして退場するしかなかった。

その後、新作はマルゴの絵を何枚も描き、やがて他の歌手たちも描くようになって超売れっ子画家となった。
新作「華影楼のモデルがいれば、私は一生絵を描き続けられる!」

VV「私たちはいつ描いてもらえるのかなぁ」
MG「まだまだ麗しい先輩方がたくさんいるからね。ずっと後の方じゃない?」

絵のモデルとしても成功を収めたマルゴは、VVとMGに優しく語りかけた。
「私はフランスにいた頃、ずっと奇異な目で見られてきたけれど……上海に来て、やっと自分の咲く場所を見つけられたんだ」

時間がある時には、マルゴは「幸福1号店」の手伝いをしてくれるようになった。
店で働く子供たちもマルゴのことが大好きになり、いつも周りに集まっていた。
子供1「お姉ちゃんきれい! お人形さんみたい」
子供2「目がとってもきれい」
子供3「足がすごーく長い!」
子供4「……でも、お姉ちゃんじゃなくてお兄ちゃんじゃないの?」
子供5「えー、そんなのどっちでもいいじゃん!」

無邪気に笑い合う子供たちの様子を見て、MGは「子供は素直で正直だね」と嬉しそうに微笑んだ。

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